本田宗一郎とホンダの歴史

2018年08月20日


本田宗一郎はホンダの創業者

自動車の魅力とは、何でしょうか。
実用性か利便性か。それとも、耐久性か、スピードか。
これらを凝縮したのが、F1です。F1レースは日本でも非常に人気があります。
その過酷な世界で、栄華を極めている企業があります。
それは、ホンダです。日本国内でもそうですが、世界にも、その名声を轟かせています。
ホンダの創業者は、本田宗一郎です。
パナソニックの松下幸之助と共に、日本経済を語る上で、欠かせない人物です。
このホンダの創業者である本田宗一郎は、1906年に静岡県で生まれました。
彼は、子供の頃から、自動車や飛行機に強い関心を持ち、高等小学校卒業後には、東京の自動車修理工場、アート商会に入社し、自動車修理の経験を積んでいます。
本田宗一郎はアート商会で、地道な努力を続け、アート商会の主人から、浜松支社を設立し、独立することを認められるのです。
その後、エンジンの部品のひとつであるピストンリングの製造ビジネスを試みましたが、学問的な壁に阻まれ、研究に没頭せざるを得なかったのです。
研究への情熱が実を結び、自身が創業した東海精機重工業株式会社でピストンリングの製造を行いましたが、時代は太平洋戦争へと入っていくのです。

本田技研工業は1948年に設立

本田宗一郎を取り巻く環境は、悪化していき、工場職員が戦争に徴兵されていくこともありました。
そして、工場も破壊されていきました。
製造業を続けることが難しくなった本田宗一郎は、経営から身を引き、1年間の人間休業に入っていくのです。
そして、1946年に本田技研研究所を開設するのです。
ここでは、内燃機関、各種工作機械の製造、研究が行われていました。
1948年に、この本田技研研究所を継承する企業として、本田技研工業株式会社が設立されました。
本田初の4輪車は、1963年8月に発売されたT360です。
この軽トラックは、軽トラックとしては、異例の高出力エンジンとなっており、後にスポーツトラックの異名を取るほど、ホンダの個性が溢れていたのです。
本田宗一郎は、どん底から立ち直ることが出来たのですが、その飽くなき挑戦は、受け継がれます。
日本で初めて、F1レースに参戦したのが、ホンダです。
1964年8月、初参戦しました。
当初は、車種が重かったことと、信頼性の欠如により、参戦当初は、苦戦を強いられたのです。
そんな過去がありましたが、ホンダというブランドは、世界へと羽ばたくことになるのです。
本田宗一郎の苦労、情熱がその栄光を引き寄せたのでしょう。

ホンダはエコカー開発にも力を入れている

F1への挑戦が、一区切りした頃、世間では、大気汚染が深刻な問題として、話題となっていました。
アメリカでは、一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物を10分の1にすることを定めるマスキー法が制定されます。
このマスキー法を初めて、クリアしたのが、ホンダなのです。
CVCCエンジンを開発し、アメリカで高い評価を受けました。
ホンダを代表するブランド、シビックにCVCCが搭載されました。
この車は、オートバイ店でも、扱えるほど、小さなボディーで、広い室内空間を実現した魔法の車であり、国内で人気を博しました。
近年、モーターとエンジンで走るハイブリッドカーや、究極のエコカーと言われる燃料電池車などに注目が集まっていますが、これらのエコカー開発にホンダは1990年代から取り組んでいます。
車の動力源に電気を使用するハイブリッドカーや、水素を燃料として走る燃料電池車は、ホンダの英知を結集させた代表作のひとつであり、更なる普及を目指し、研究を続けています。
本田宗一郎もそうですが、苦労に苦労を重ね、地位を築きました。
しかし、彼の原動力は、飽くなき挑戦心であったと思います。
その挑戦心に、結果が答えた答えが、現在のホンダです。
現在のホンダは、本田宗一郎の挑戦心を確実に引き継いでいるのです。
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